言の葉 #008

幸運は、それがなくてはエロティシズムがその反対物たる不幸を結果として持つことが避け難いものであったので、便法としてしか追求され得なかった。けれども、便法を用いることによって、エロティシズムは、その偉大さを失ったのである。それは、欺瞞に帰着してしまったのだ。ついには、エロティシズムの欺瞞は、その本質と見えるようになった。ディオニュソス的エロティシズムは、ひとつの肯定〜あらゆるエロティシズムと同様に、部分的にはサド的な〜だったのだが、この相対的な欺瞞の中では、肯定は、便法を用いながら進んだのである。

ジョルジュ・バタイユ(森本和夫 訳)


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